やっぱりあった

 昨日の昼も、構内の藪歩きをしました。いくつかのポイントをチェックしながら歩いていると、シュンランの花芽が出ている株が一つだけありました。かなり膨らんでいるので、暖かい日が続けばあと数日で咲きそうです。ただ、近くにうさぎがいたので、食べてしまわれないか心配です。

 夕方、以前居たことのある職場の人が来て、その頃作ったプログラムについて質問を受けた。CD-ROMに焼いていたプログラムを引っぱり出して調べはじめたのですが、またぞろクラスタマシンのファイルサーバがピーピー鳴り出す。今回は、ハード的なトラブルでは無さそう。結局時間が無くなって、また今日、やることになりました。


 話は変わるが、鉱物採集と環境破壊について、トラックバックをつけたはてなにある。さらに、その先にリンクが張ってある。環境問題は、結局程度問題になると私は思っている。トラックバック先でも言っているが、今の人が生きるためには、沢山の資源が必要で、それは必ず自然破壊とかかわっている。鉱産資源の場合、再生に時間がかかるぶん、厄介だと思っている。虎の皮は、虎の住む環境と密猟の対策*1ができれば100年あれば再生する。生物は、そのくらい、適した環境があればふえるものだ*2。しかし、紫水晶のジオードを再生するには、少なくとも百万年以上の時間が必要である。
 今の人間は、「地球」なしには生きていけない。共生するしかない。極論すれば、人間に向かない地球にしてしまえば、人類が滅びるだけである。30億年くらい前、酸素を生み出すシアノバクテリアが栄えた。太陽の光を使って、効率的に糖を作れるようになった。その代わり、副産物の酸素が多くのバクテリアを滅ぼし、酸素に適応できないものは深海底の泥とか地中にもぐった。また、芽胞というものを作って、自分に適した環境が現れるのをまつようになった。
 人間は、脳により、環境に適応した。脳には「遊び」も必要である。私にとって、環境破壊であろうと「鉱物採集」が必要なのである。このノートパソコンに使われているインジウムが、採鉱という環境破壊という行為によって得られ、それが欠かせないように。
 だから、環境保護といった場合、どのあたりを目指すのかをはっきりしないと、そもそも議論にならない。リンク先の人は、ぬくぬくとした部屋で液晶のパソコンを使い、それで紫水晶のジオードを弾劾しているのだろう。

*1:実際には簡単ではないが

*2:カモシカも鹿も増えてしまいましたから。以前の職場では、カモシカをよく見ました。裏山に登れば、しょっちゅう出会いました