…国銅…を読んでいます.

 上が終わったところです.奈良の大仏の作成を,銅の精錬から鋳込みまで,1人の人間を通して書いたものです.長登銅山が最初に出てくるので,買ってしまいました.ストーリーもよく,瀬戸内海を当時の船で渡る雰囲気も,こんなもんだったろうと思います.でも,鉱山と精錬の記述がちょっと違うのではと思います.大仏の作成のちょっと前,和同開珎が作られたのは,長瀞周辺で自然銅が見つかったからです.実際,今でも自然銅が採れて,私もとったことがあります.つまり,当時は自然銅を採掘していたと思われます.良くて,孔雀石を炭と共に熱して銅を作ったのがせいぜいだと思います.
 また,坑道も,大切り坑を掘れるほどの技術があったとは思えません.江戸時代でも,大切り坑の開削を目指したが資金が尽きたみたいな記述がよく出てきます.そもそも,この頃だと,地表に溝を掘る程度だったのではと思います.
 この本の記述は,どうみても江戸時代まで下った感じですね.黄銅鉱から銅を精錬できるようになったのは,室町くらいではないのかな?ネットで調べてみたけど,あまりはっきりしない.そこらへん書いてありそうな,「別子開坑250年」は人に貸してしまっているし.記憶によれば,南蛮絞り吹きは,戦国時代後期には行われていたそうですから,上記の推定はいいとこだと思う.

 長登銅山は,スカルンと呼ばれるタイプの銅山で,自然銅ができやすいたいぷです.自然銅は,酸素を含む地表水が地下に浸透して銅鉱石に触れないとできません.日本の場合,普通のところでは,地下水面が高く,こうした条件になりません.しかし,スカルンは,石灰岩を伴うので,地下水位が低くなります.それで,わりと自然銅が沢山とれるのです.
 こうした自然銅は,地表付近にしかないため,今は悉く採掘されてしまいました.なかなか見つけるのが難しい.