…「震度7」を生き抜く…を読みました

 地震に関する記述は、そこそこだなと思っていたら、51ページで決定的な誤りの記述があります。1964年の新潟地震の新潟での震度は5でした。そもそも、この地震の最大震度は5だったのです。でも、一番ショックな間違いは、震度が「7.5」と書いてあることです。マグニチュードと震度が混乱しているではないか…。この著者、かなりホームページを見ているようなので、どこかの間違いを引いたのかもしれません。ちなみに、

  http://www.seisvol.kishou.go.jp/cgi-bin/shindo_db.cgi?from_YYYY=1964&from_MM=04&from_DD=01&from_hh=00&from_mm=00&to_YYYY=1965&to_MM=04&to_DD=10&to_hh=24&to_mm=00&ORG_PID=30227&pref=37&minimum_shindo=4&station=9999999&max_count=10&PARAM_OK_DATE=%B8%A1%BA%F7%BC%C2%B9%D4

を見ていただければ、最大震度が5であることがわかると思います。当時は、気象台の職員が体感で決めていました。このため、震度計が普及した現在より観測点が少ないです。しかし、被害の大きかった新潟市内に気象台があったわけですし、この最大震度はおおむね妥当だと思います。1964年の新潟地震は昨年(2004年)の中越地震と違い、プレート境界の逆断層の地震です。このタイプでは、震度はあまり大きくなりません。その代わり、長周期の波が生じやすいです。このため、2003年の十勝沖地震のように、石油タンクに被害が生じました。

 それと、中越地震で活動した断層帯は、従来懸念されていた長岡に被害を及ぼす地震とは、違うところで起きました。周辺の断層帯での地震の発生を危惧した論文とか学会発表はあっても、ここをきちんと指摘したものはありません。このため、すべった断層は、長岡直下ではなく、少し南東側にずれました。このため、長岡での揺れは、山古志とか川口町に較べると、少し小さいものでした。想定された断層帯が活動したら、長岡の揺れはほんとに震度7になったでしょう。

 最後に、各章の最初に、被災住民の声が載っているのですが、あとの話とのつながりがよくなく、ひっかかる感じです。