母永眠す

 9月29日(火曜日)の早朝、再び姉から病状が良くないとの電話を受け、病院に駆けつけました。すでに、意識はなく、酸素濃度を高めまた呼吸の補助をしていました。それから、約2日間、母の心臓は鼓動を続けましたが、10月1日の4時ころ止まってしまいました。呼吸を補助していた装置はアラームが鳴り響き、むなしくポンプの音がしていました。喪主である父を助けて、通夜と葬儀を終えて、つくばに戻ってきました。母の病気は、小細胞ガンというタイプの肺癌で、すでに胸のリンパ節に転移があり、それが大きくなって気管や食道を圧迫していました。放射線により、この転移は小さくなり、ずいぶん楽になったそうですが、副作用により肺炎を起こして、それが致命傷になってしまいました。20回で1クールの照射は、発熱により18回しかできませんでした。その発熱が、肺炎の予兆でした。医者の意見を聞き、ベストな選択をしたと思ったのですが…。いや、ベストだったのです。副作用は、結果論ですから。